喪失感がはんぱない
福祉の仕事をしていると、高齢者の方々のストレスの一つに「喪失感」というのがよく出てくる。
配偶者の死別、友人との離別などなど。あわせて体が動かなかったなども、喪失であると思う。何よりも死別って言う機会が増えていくのが高齢期、送る側でもあり、送られる側でもあり・・・。
そんなことで、喪失感と関わることがあってもどこか、それは高齢期の話、つまり他人事ってと思っていたところがある。
まぁ自分も振り返れば、激太りやアキレス腱断裂も、そう運動能力を「喪失」するわけで、喪失体験をしてきたことになる。
少し残念ではあったが、これまでも悩むことなくできたのは、たとえばサッカーや短距離走などはできなくなったのだが、それでもマラソンや自転車などに切り替えてやってこれたからなのだと思う。
喪失はしたが、喪失感はなかったということだ。
しかしである、今、40を過ぎ、本当であれば、惑わないのだろうが、それとは別に、悩み、ストレスを感じるときがある。
今回の題名でもあるのだが、喪失感、まぁ言ってしまえば、「道がそれぞれになる」ということなんだろうか。それも喪失につながる。いつものように、うまーく切り替えられれば良いが、そんなことにならない。
アキレス腱断裂のような、怪我でもなく、それは当たり前のことなんだが、こういう機会に直面すると、やはり堪える。ほんと怪我でもなく、不幸なことではないのだから、悩むはずはないのだが・・・・。
そんなことの一つに、子離れ、親離れがあるだろう。息子も高校2年生になり、今まさに、これから独り立ちするために、思い悩んでいるのだろう。
まぁ反抗期ともいうが、これはこれで喜ばしいことではあるのだが、男同士で小さな頃からの最大の「連れ」で。それが急にねぇ・・・。
まぁ覚悟はしていたが、うまーく、受け止め、切り替えられない親父が一番だめなんだろう・・・・。
子供自体は自然な反応であって、それを受け止める、親父が一番子供で、どうしようもないのかもしれない。
きっと自分もそうだったのであろうし・・・。まぁ振り返れば、幼少の頃より、ぺちゃふみで、周りの大人に、好き勝手言って来たので、万年反抗期だったのかもしれないが・・・。
まぁ、信じ、祈るしかない。きっと大丈夫と。息子のことが心配なんか、それとも・・・
結局、いままで何だったんだろうか?とか、俺のしたことは正しかったのかと、自問自答しているだけなのかもしれない・・・。これなんだろう。息子のことを考えれば、喜べるんだから。
それも一つ、頭の中の大きな部分を占めている。
まだあるのだなぁ「道がそれぞれになる」
僕は比較的、早く結婚し、子供達も大きくなった。同時に子育ても楽になったし、言い方を変えれば、もう子供達は遊んでくれなくなっている、さみしいが・・・。
これまでは同じ年頃であれば、同じ時期に学校に入り、同じように進むが、学校が終われば、それぞれのタイミングで人生が進み始める。仕事、そして結婚、住む場所も近くであったのが、県外に進学したり、就職したり、少しずつ、ずれていく。
別れも大きな喪失だが、少しズレるというのも十分な喪失なんだろうと実感している。
ちょっとしたズレが、行動をもズレさせる。仕事違えば、休みもズレるし、住まいも違えば、同じことするって訳にもいかなくなる。
行事も違ってくるし、価値観も違ってくる。いままでやれていたものも、一緒にできなくなる・・・。
ちょっと、周りに依存しているのかもしれないと、思うようになった=喪失感なのかもしれない。
すこーし、変化させていかなければならないんだと思い始めている。
昔みたいに、適応できず、すこし時間はかかるかと思うが・・・。
いろいろだらだらと、書いてしまった。1年後どうなっているかなぁ