生きると言うこと
死ぬのはいやだ。これははっきりしている。できることならば、永遠に、それがかなわなければ、150歳くらいまで。そうも行かないのは、じゅじゅう知っている。
死んだあとのこともわからないので、それが怖いのかもしれないし、存在がなくなる、忘れ去られるというのが残念なのかもしれない。もう考えても答えがでないし・・・。
今日、録画していた、対談番組「 SWITCH インタビュー達人達」(http://www4.nhk.or.jp/switch-int/)を見た。
坂本龍一さんと福岡伸一さん。どちらも僕の好きな方である。YMOと動的平衡のおふたり。
対談は生死の話ではないのだが、動的平衡ということで、創造と破壊ということで、考えるきっかけになる。
生きると言うことは、体の中で、この動的平衡の中で進んでいる。生まれた以上死に向かっており、それは一つ、坂道を下っているところはあるのだろうが、寿命というものもあり、すぐには、その坂道を転げ落ちることはない。聞けば、作っては壊れを繰り返しながら、少しだけ「破壊」の方が多いのだそうで、そのせいで、少し登れるのだそうだ。創造が多ければ、重く落ちてしまう。あっ!おれ重くなっている。
これは体の中の話なのだが、人の生き死には、まさにこれではないかと思う。生まれては、消える。この世界のものを取り込み再構成し、また土に帰って行く・・・。